ぱんださんの愚痴と感情はけ口日記です。波がある性格の元SEです。アロマ好き。
歴史好きですが歴女とか言われるのはしっくり来ない10年選手です。
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「人見勝太郎の遺品を展示しますので」と教えてくださった方がいまして、喜んで見に行った展示会の話。
手元のパンフレットには平成15年と書いてあるので、ざっと4年前の話です。
人見寧(勝太郎)は「土木県令」と呼ばれるほどに、茨城県令(県知事)時代には土木事業、特に治水事業には力を入れていました。
その中で一番力を入れたのが利根川と江戸川を結ぶおよそ8kmの利根運河の開削で、人見が加波山事件(民権運動)の責を負い、県令の職を解かれた後も、運河建設推進派の広瀬や色川らとともに株式会社を設立、自ら会社社長となって事業を貫徹しました。
(このため、人見・広瀬・色川の三人をして「利根運河の三狂生」と言われたそうです。)
なお、利根運河は東京と茨城間での水運に使われた運河であり、現在は導水路として使われていますが、水運の運河としては使われていません。
ちなみに、開削当時とは川の流れの向きが逆になっているそうです。
今は、豊かな自然をたたえる、とても静かな運河です。
で。
その利根運河の展示会があり、人見寧ご子孫様が人見寧の遺品を展示会に出したというお知らせをいただきました。
以下略
そのパンフレットと、パンフレット内の「人見勝太郎の辞世の指揮旗」と「県令時代の人見寧」
実際に取手市埋蔵文化センターには、Kさん(いきなり誘ったのに一緒に来てくださったのです感謝すぎる)と二人で一緒に行ったのですが、センターそのものは綺麗でしたが本当に「地元の資料館」という規模でした。
訪れたときには「今日は学芸員がいませんが」というのがちょっと残念だったかな。
パンフレットのとおり、実は広瀬さんの展示会だったのだとは思いますが、人見氏の出品も多かった。
ワンフロアのみの展示だったけど、結構個人的に人見の資料が充実していたのが嬉しかったです。
とにかく、人見の指揮旗をこの目で見られたのが嬉しかった。
箱館戦争の際に、なくしてしまったものを、品川弥二郎がわざわざ自宅に呼んで人見に返却したというので有名なあれです。
なによりも、ご子孫様がこれだけの人見寧の遺品をきちんと保存し残してくださっている事実がなんだか嬉しかった。
あまり歴史に興味がなくて、自身のご先祖様の資料をないがしろにしてしまう方もいらっしゃるこのご時世ですからねー。
誇れるご先祖様を、誇ることの出来るご子孫様って格好良い。
また、他にも人見寧履歴書の直筆、人見が使っていた大礼服、杖などいろいろ展示されてました。
もちろん広瀬に関する資料もいくつかありましたがあまり覚えてな・・・ ←
いやだって辞令とか運河の写真とか資料ばかりだったもの。
人見とともに利根運河の開削に従事した広瀬誠一郎は、利根運河の完成を見る直前に逝去されています。
その展示で紹介されていたのですが、広瀬が主役?で人見、色川などが出てくる利根運河開削を主題にした劇?の台本なんかもありました。
そんな劇(ミュージカルだったかも?うろ覚え)をやっていたことに驚き。
客があつまらなそう、って言っちゃダメっすか、…私は行くけど(笑)
その時の写真データが引越しのときに飛んだorz
外付けHDDとふるいノートPCに入れておいたのにorz
HDDは動かないノートPCは要リカバリってどんだけorz
流山の可愛いローカル線も利根運河もそこに立つ石碑も、ついでに行った流山の陣屋跡もなかなか行けない場所だからと写してきたのに、CDに焼いときゃよかったorz
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子孫かどうか
勝太郎と同じ苗字で、しかも祖父母や父も勝太郎と同じ伏見区で生まれ育ちました。名前もそこそこ珍しく、こんな偶然は無いと思うので、まず間違いなく子孫だと思っています。どうしたら調べられるでしょうかね。真剣に調べたくて、色々と模索していますが良い方法が見つかりません。ご存じであれば是非教えてください。
返信遅れましてすみません
回答ですが、過去帳をお調べになる方法などいかがでしょうか。
人見の墓所は京都にあります。
そのお寺さんには過去帳が残されていまして私も住職様のご好意で少しだけ拝見いたしました。
現在のご住職様は前の方とは違っているようですし、昨今の個人情報の取扱で簡単には見せてもらえないかも判りませんが事情をご説明すれば見せて頂けると思います。
なお、人見のご子孫は関東の方にいらっしゃるとのことですが、ご兄弟もいるので傍系もあると思います。
直系の人見氏が京都の長遠寺の檀家さんのままのはずなので、やはりお寺さんにうかがうのが良いかと思います。
あとは戸籍(本籍)をお調べになれば、明治くらいまでは簡単に入手できるのではないかなと。
人見の墓所は京都にあります。
そのお寺さんには過去帳が残されていまして私も住職様のご好意で少しだけ拝見いたしました。
現在のご住職様は前の方とは違っているようですし、昨今の個人情報の取扱で簡単には見せてもらえないかも判りませんが事情をご説明すれば見せて頂けると思います。
なお、人見のご子孫は関東の方にいらっしゃるとのことですが、ご兄弟もいるので傍系もあると思います。
直系の人見氏が京都の長遠寺の檀家さんのままのはずなので、やはりお寺さんにうかがうのが良いかと思います。
あとは戸籍(本籍)をお調べになれば、明治くらいまでは簡単に入手できるのではないかなと。