ぱんださんの愚痴と感情はけ口日記です。波がある性格の元SEです。アロマ好き。
歴史好きですが歴女とか言われるのはしっくり来ない10年選手です。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
話の中で
「そういえば、新島襄が甲賀を褒めた落書きノートってどっかで見れますかね?」
という話題になって、
そんなんあったら自分も見てみたいと、同志社のサイト見てみたらありました。
ありました、落書きノート。びっくり。
たしか前はなかったはず。いつの間に公開したんだ。ナイス同志社
まず、計算問題を頑張ってる数字と記号しかないノートに突如として「天下天下英」と書き始め・・・
数ページあとの落書きにはしっかり「天下英雄甲賀源吾」とあります。
なぜか「甲賀源吾」を二回も書いています。
画像はいずれも同志社大学・新島遺品倉庫資料の公開「全面公開コース」で御確認どーぞ
(※上記検索ページから「甲賀」で検索してくださいな)
どういう心境の変化なのか。
新島襄にとっての甲賀はどんな存在だったのでしょうかね。
なんとなく、甲賀が教鞭をとっている授業内で
机隣り合わせの学友と、コソコソ落書きしてる
ってのを想像しました。
同様に「甲賀」で検索すると、「甲賀塾時代?のノート」という資料も見つかるのですが、そのノート表紙には「文久3年」とありました。
文久三年というと、甲賀源吾24歳(数え)。
この年齢で、英雄と落書きされる教師ってどんなんなんだろうか。
ちょっと笑える。
PR
この記事にコメントする