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ぱんださんの愚痴と感情はけ口日記です。波がある性格の元SEです。アロマ好き。 歴史好きですが歴女とか言われるのはしっくり来ない10年選手です。
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人見勝太郎関係の資料をあたっていて気づくことなのですが、勝太郎の資料はかなり少ないです。


人見自身が後年になって書いている「人見寧履歴書」があるので、彼の遍歴はなんとなく掴めるのですが、それも自伝でしかなく、どうしても主観的な資料と言う位置でしかありません。
他にも人見自身で「旧幕府」や「史談会速記録」などに出席し、自身の体験を語り残しています。
また、ネット上でも見られるのですが、「函館戦争顛末漫記」があります。
その他、人見墓所に近しい系図が記されていたり、箱根にある早雲寺にある箱根遊撃隊戦死士墓などもありますが、人見自身が建てたものです。

ここまで来て、彼を客観的に見た資料は少なく、林昌之助の「林昌之助戊辰出陣記」などにも人見の名は見られますが、そういった他人の資料の中に人見の名はそう多くはない。山岡鉄舟が語り残す人見は、高い評価ではない、ということだが自分はその資料を目にしたことはない。
脱走遊撃隊という隊そのものも、そう長い間結成されたものでもなく(慶応四年~明治二年)、その上この短い期間の間に再編成や合流別離なども多く、人見が筆頭隊長ではあったものの、どうしても伊庭八郎や林昌之助の方が彼らの身分や出自などで目立ってしまう部分がある、というのもあるのでしょうか。

府県長官銘々伝より人見寧
府県長官銘々伝より人見寧

人見の出自などについては、「人見寧履歴書」の前文に青木氏が記しています。
青木氏いわく、人見の次男である麟氏の協力を得たということなので、実際に人見氏に取材した上で記したものなのだろうと思います。
「人見寧履歴書」前文に、茨城各所に揮毫が残っていることと、詩文創作が人見家に残されていたとあるので、人見寧自身が筆を執ることが好きだったのでしょうか。

また、人見に関して書かれた小説で一番詳しいものに中村彰彦氏「遊撃隊始末」がありますが、この小説の後記に記載されている資料一覧も、林・伊庭の資料が多く、人見資料はさほどないように見受けられました。(履歴書と茨城県令に関する資料)
人見が戊辰戦争突入前に奥さんを貰っていた、などの細かい設定はどこから引用してきたのかそれとも創作なのか。
人見氏に取材した賜物なのかな。

自分でも、人見に興味を持ち始めたのは中村彰彦氏「遊撃隊始末」からで、この小説が無ければ興味も抱かなかっただろうと思う。



茨城県の図書館にちょっと資料ありそうな・・・あー、図書館行くか。茨城まで頑張って。


そういえば、人見県令お手植えな枝垂桜はいまも毎年桜の花を咲かせるようですね。
時代を超えて息づくものがあるのであれば、ぜひとも一度見に行きたいと思っています。
桜の咲く頃、茨城に旅行しようかなあ。

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