ぱんださんの愚痴と感情はけ口日記です。波がある性格の元SEです。アロマ好き。
歴史好きですが歴女とか言われるのはしっくり来ない10年選手です。
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なんでFLASHなんだ、とちょっとびっくりしたけど、ここは混沌のインターネットの世界
色々あるもので、私も見つけたときはびっくりしました。
あるもんだなあ、と。
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遊撃隊隊長で、もっとも有名なのは多分伊庭八郎ですが、当時は林昌之助のほうが有名だったのではないでしょうか。なにせ、幕末の風雲期にあって唯一脱藩した若き大名。
土地も人も失う覚悟で、人見・伊庭の誘う遊撃隊に参加し、戊辰戦争に身を投じた彼をFLASHにした作品がありました。
脱藩大名(信玄の野望)
少しはしょっている部分もありますが、やっぱり動きがあるとわかりやすい。
遊撃隊の趣旨というのは、戦争をするためではなく、「尾彦の罪を問う」という名目。
薩長を討つ、という目的では慶喜の恭順を否定することになる。
その上での名目だったのだろうと思います。
結局は敗戦となり林は家もお取潰し、貧窮にあえぐ生活を余儀されなくなります。
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フラッシュ二個目。
利根運河に関するフラッシュです。
まず、利根運河はなぜ必要だったのか。
どうして莫大な予算を組んでまで、そして公的な意味を失いかねる場面になっても(人見が県令から外され、民間として工事を貫徹した)、これを必要としたのか。
それを説明した、解りやすいFLASH発見したので載せてみます。(江戸川河川事務所のWeb広報誌 E-na(イーナ)より)
なお、ここに補完をすると、人見・広瀬らは利根運河の開削を提示したことに対し、同事業に関係するとして協力を呼びかけた千葉県令船越は、これに反対。運河開削よりも、鉄道を敷くことを優先しようとしました。
また、人見が県令を降りた後の茨城県令で薩摩藩士の安田県令は、ハイカラ県令と渾名される人で、この人も線路建設派だったそうです。
安田県令時代に、いまだ役人だった広瀬は、これを見て県の事業としての開削は不可能として人見、色川とともに株式会社を立ち上げた、という背景もあります。
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どちらも人見が主役というわけではないけれども、関係しているので・・・。
ところで人見氏が長男を廃嫡したというのは本当なのかな。
中村彰彦氏の遊撃隊始末では、お手伝いさんに手を出した長男を廃嫡、次男に家督を譲り渡したとか。
そもそも、人見自身が戊辰戦争前に京都にいる弟に家督を譲ったのではなかったっけ。
それは戻したのか?
そして長男を廃嫡にした、としたら説得力があんまりないような気がします。
人見、妾いたし。子供生ませてたし。女の子だけど。
自分のこと棚に上げて、だめな父親じゃん、と思うのは自分だけかね
ものすっごいどーでもいいけど、自分の家のひいじいちゃんは妾二人いました。戸籍が残っとる。
一応豪農だったから。いやでも。現代の感覚から見ると、それってどーよ。
そしてものっすごいどーでもいいけどその2。ウチのご先祖様はこの家でした。実家にある巻物(印刷だよ・フォントが明朝体だよ新しいYO w)では後嵯峨天皇を祖としていました。今は苗字も家紋も違ってますが、簡単に言うと戦国の世で淘汰された武士の子孫です。もっと簡単に言うと農民の子です。わはは。
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