ぱんださんの愚痴と感情はけ口日記です。波がある性格の元SEです。アロマ好き。
歴史好きですが歴女とか言われるのはしっくり来ない10年選手です。
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戦時中の本なので紙とインクと装丁がひどいお なけるお(´;ω;`)
この書籍はぱんだがすごい好きな書籍の一つなのですが
なんといっても軍国主義的な観点からの論述が、今となってみると観望の違いがなんだか奇妙で、そこがなんだか面白い(?)
考え方ってこんなに変わったのだなあ、と。
史料的な価値としてはどうなのかな?
個人的に、著者や荒井陸男(郁之助五男、荒井家当主)の主観的な記述が面白くて好き。
で
この史料の中に、なぜか安藤太郎に関する記事があります。
何故この本の突如として安藤太郎の記事が出てくるのか、脈絡もないです。
荒井の記事をお願いしたら安藤の記事が帰ってきたのか。
それとも安藤の記事を知っていて掲載したのか。
安藤太郎の記事の内容ですが、主に
「姪っ子による酒乱な小父さんレポート」
でほほえましいです。(笑)
中身と続きは下記「more...」

しかし、ぱんだの持ってるこの本のボロさは異常。
読みすぎた所為・・・ではないと思いたい。(でも購入後、背のノリはがれたorz)
この書籍はぱんだがすごい好きな書籍の一つなのですが
なんといっても軍国主義的な観点からの論述が、今となってみると観望の違いがなんだか奇妙で、そこがなんだか面白い(?)
考え方ってこんなに変わったのだなあ、と。
史料的な価値としてはどうなのかな?
個人的に、著者や荒井陸男(郁之助五男、荒井家当主)の主観的な記述が面白くて好き。
で
この史料の中に、なぜか安藤太郎に関する記事があります。
何故この本の突如として安藤太郎の記事が出てくるのか、脈絡もないです。
荒井の記事をお願いしたら安藤の記事が帰ってきたのか。
それとも安藤の記事を知っていて掲載したのか。
安藤太郎の記事の内容ですが、主に
「姪っ子による酒乱な小父さんレポート」
でほほえましいです。(笑)
中身と続きは下記「more...」
しかし、ぱんだの持ってるこの本のボロさは異常。
読みすぎた所為・・・ではないと思いたい。(でも購入後、背のノリはがれたorz)
この安藤の姪(荒井の姪でもある)は三宅花團と言って、田辺太一の娘です。
安藤の奥さん(荒井妹・ふみ子)の姉(荒井妹・きみ子)の子です。
・・・ややこしい。

図にしたけど、やっぱりややこしい。
まあいいか。
とにかく、その三宅花團という安藤太郎の姪っ子なのですが
子供のいない安藤家に行っては小父である安藤太郎に可愛がられていたらしい。
「海将 荒井郁之助」書籍内で、「附録」として載っている「安藤太郎小父の追想」で
その花團本人がそれに関して記述しています。
「(略)酒の相手に良く私がさせられた。大兵の小父の安坐の中に入れられて、お船はギッチラコなどと言ひながら、小父は私の好きなおさしみを私の口に入れてくれた。此の頃の小父は私を何よりの楽しみにしてゐて、何かの口実を設けて褒美をくれた。唄を歌った、良い歌を詠んだ、絵をかいた、肩を叩いた、何、何、と言って色々のものを私にくれるのを、楽しみにしてゐたやうだった。
芝居へは幾度も連れられた。松島千太と明石の島造の芝居では、七尺不足の大兵の小父が、母子の別れの所でヲイヲイと大声で泣き出した。泣き虫の私も一緒に泣き出した。」
引用長いけど、あまりに可愛かったので(笑)
しかも、此の後、芸者にその場面を見られた安藤は、それが癪に障ったのか酒を飲み
舞台が最中だというのに、ドタバタやって注目されたり、楽屋の人が起こしてもらって、
一緒に来た花團などが「帰ろう」と言っても「帰らない」と駄々こねたりどうしようもなかったそうで。
何してんの安藤太郎。
そして「其の翌日の小父はしょげかへつて、御託とか、御褒美とか言つて、又何かくれるのだった」
姪っこに口止め料すんな安藤太郎。
ほかにも「朝の食事からお銚子がついていて、毎日のように大声でもろ肌脱いで・・・」とか
「岩倉の使節団のときも、林薫と一緒に、うちの父(田辺太一)をずいぶん困らせたようである」とか
「小母さんは辛抱強かったので、あきれ返りながらも見守っていた」だとか
「ハワイ領事となったときも、朝から酒を飲んでいて・・・」だとか
ぅおい、安藤太郎。
それを改めたのが、安藤の妻であるふみ子であり、ハワイ領事時代に
キリスト教の教えを聞いて感動している太郎を、その日に即効洗礼を受けさせ
そしてその世話になった神父様も、禁酒を勧める方だったので説教され、
そのタイミングで榎本らから2樽の酒が贈られて来たので、ふみ子はそれを庭の塵捨て場に捨てさせて、安藤の禁酒爺としての道が始まった、と。
ふみ子がいなかったらダメ人間に聞こえます。(笑)
後年、ふみ子に先立たれた太郎は妻のために教会を建て(日本メソジスト銀座教会安藤太郎記念教会)たそうです。
ところで、七尺不足というと、現在に換算すると・・・1尺が30.3cmで軽く2m超えという事になります。
でかいな、小父さん。
安藤の奥さん(荒井妹・ふみ子)の姉(荒井妹・きみ子)の子です。
・・・ややこしい。
図にしたけど、やっぱりややこしい。
まあいいか。
とにかく、その三宅花團という安藤太郎の姪っ子なのですが
子供のいない安藤家に行っては小父である安藤太郎に可愛がられていたらしい。
「海将 荒井郁之助」書籍内で、「附録」として載っている「安藤太郎小父の追想」で
その花團本人がそれに関して記述しています。
「(略)酒の相手に良く私がさせられた。大兵の小父の安坐の中に入れられて、お船はギッチラコなどと言ひながら、小父は私の好きなおさしみを私の口に入れてくれた。此の頃の小父は私を何よりの楽しみにしてゐて、何かの口実を設けて褒美をくれた。唄を歌った、良い歌を詠んだ、絵をかいた、肩を叩いた、何、何、と言って色々のものを私にくれるのを、楽しみにしてゐたやうだった。
芝居へは幾度も連れられた。松島千太と明石の島造の芝居では、七尺不足の大兵の小父が、母子の別れの所でヲイヲイと大声で泣き出した。泣き虫の私も一緒に泣き出した。」
引用長いけど、あまりに可愛かったので(笑)
しかも、此の後、芸者にその場面を見られた安藤は、それが癪に障ったのか酒を飲み
舞台が最中だというのに、ドタバタやって注目されたり、楽屋の人が起こしてもらって、
一緒に来た花團などが「帰ろう」と言っても「帰らない」と駄々こねたりどうしようもなかったそうで。
何してんの安藤太郎。
そして「其の翌日の小父はしょげかへつて、御託とか、御褒美とか言つて、又何かくれるのだった」
姪っこに口止め料すんな安藤太郎。
ほかにも「朝の食事からお銚子がついていて、毎日のように大声でもろ肌脱いで・・・」とか
「岩倉の使節団のときも、林薫と一緒に、うちの父(田辺太一)をずいぶん困らせたようである」とか
「小母さんは辛抱強かったので、あきれ返りながらも見守っていた」だとか
「ハワイ領事となったときも、朝から酒を飲んでいて・・・」だとか
ぅおい、安藤太郎。
それを改めたのが、安藤の妻であるふみ子であり、ハワイ領事時代に
キリスト教の教えを聞いて感動している太郎を、その日に即効洗礼を受けさせ
そしてその世話になった神父様も、禁酒を勧める方だったので説教され、
そのタイミングで榎本らから2樽の酒が贈られて来たので、ふみ子はそれを庭の塵捨て場に捨てさせて、安藤の禁酒爺としての道が始まった、と。
ふみ子がいなかったらダメ人間に聞こえます。(笑)
後年、ふみ子に先立たれた太郎は妻のために教会を建て(日本メソジスト銀座教会安藤太郎記念教会)たそうです。
ところで、七尺不足というと、現在に換算すると・・・1尺が30.3cmで軽く2m超えという事になります。
でかいな、小父さん。
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