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ぱんださんの愚痴と感情はけ口日記です。波がある性格の元SEです。アロマ好き。 歴史好きですが歴女とか言われるのはしっくり来ない10年選手です。
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安藤太郎の記事で「禁酒の使徒 安藤太郎伝」というのがネット上にあります。
安藤太郎に関する記事があるのですが、キリスト関係の新聞に掲載された記事のコピーらしいのですが・・・。
ここの記事で、黒田清隆の失態を指摘した記事があります。
明治17年、安藤は上海領事館に勤めていたということです。

「黒田の失態というのはこういうことである。フランス・ホテルに滞在中、黒田は給仕の中国人ボーイの一少年を、酒のなせる妄念で犯し、醜聞の種を蒔いてしまったのである。」(上記「安藤太郎伝」から)


思いっきり醜聞ですね。
ところがこのことに関して、手持ちの資料を少し見比べたのですが、ほかの資料では見当たらない。
(私の手持ちの資料ってのが、箱館戦争とその人物周辺に特化してるので、見当たらないだけか・・・。)
ここで黒田は、と調べてみると、ちょうど明治17年には、韓国問題に関して日清関係を強めるために、「私的な旅行」をしています。
といっても公金が降りているので、ほぼ公的な旅行です。
同時期に伊藤博文も清国へ渡っています。
なお当時、榎本は清国の全権駐在大使でした。

まあ、当時の上海領事館に居た安藤ほか、いろんな人がもみ消しに奔走したのだろうから簡単に見つかっちゃダメなのかもしれない(?)けれど。
一応、今所持してる書籍で一番黒田に関して詳細に記載されているであろう、井黒弥太郎氏の「人物叢書 黒田清隆」をさらっと確認しましたが、「清国大使だった榎本と酒飲んでた」ってだけで(やっぱ飲んでるよこの人)、上記の安東太郎伝に書いてあるような醜聞についてはまったく触れられていませんでした。

人物叢書 黒田清隆

そしてついでに、安藤太郎伝での「醜聞」があったとされる明治18年は黒田45歳にして、やっと念願の男子が生まれた年でもあります。
ダメじゃん。


「表沙汰にならないで済んだことは、不幸中の幸いだったが、「これを榎本公使に報告しなければならないのはツラい」と安藤は嘆じた。」(安藤太郎伝より)

日本政府じゃなくて、榎本に報告するんか。(そりゃ駐清特命全権大使ですからそうなのだろうけど)
しかもイヤそうです。なんだそら。


ただ、上記サイト内には、「新聞に載せた」と記載してあるだけなので、参考とした書籍は特に記載されていません・・・ので、どこから拾ってきたネタなんだろう、という疑問はありますけども・・・。
安藤に関する詳細な書籍とか、安藤の日記とかあったのかな・・・?
安藤本があったら読みたいくらい、安藤が気になるこの頃です。



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